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PPK

日経新聞に載っていた「あすへの話題」が興味深かったのでちょっと抜粋。

PPK(ピンピンコロリ)という言葉がはやっている。死ぬ間際までピンピンと元気で、死ぬときはコロッといくということである。~中略~ PP-K=ゼロということで、昨日まで元気で今朝急逝したというような例である。しかし多くの場合、PP-K=ゼロとはいかない。現実にはPPとKの間にある期間、すなわち何らかの支援や介護の必要な時期と終末期が存在している。実は、私たちの人生を考える時、このPPとKとの間に十分な思いをはせることが重要だ~以下略~

2007/2/22 日経新聞夕刊より

えー、不思議な考えですね。

省略したとこに書いてあるのですが、PP-K=0と考えると、事故死、殺人などの被害も、コレに当てはまるのですよね。なんの前触れもなく「死」が訪れるわけですから。

しかし、そうではなくて

PP-K=死への準備期間

こう書いてありました。

たしかに、元気でいる期間から、死んでしまうその瞬間を取り除いたとしたら、あとは病気であったり、老衰であったりと、言い方は悪いがなにかしら「死」へのカウントダウンが始まっているわけである。

つまり「死」への準備期間である。

本人はもちろん、周りの家族・友人・知人はこの間に気持ちの準備をするわけだ。

と、ここまで書いてみて思った。

自分には、「死」に関して客観的な意見しか浮かばない。

今まで、周りの人間がなくなったことがないのだ。

それに加え、親しくした動物も死なせてしまったことがない。

つまり、自分は死は『こっち』ではなく、『あっち』側と頭で判断しているのだ。

マンガ、ドラマ、映画。「死」というテーマは、さまざまな視点で表現されて、世の中に氾れている。

なんか現実味がないのはそのせいなのだろうな。

もちろん、命や死を軽く見てるわけではないのだが。

「死」といえばもうひとつ。

この間、仕事前に駅の本屋で時間をつぶすために立ち読みした本が、昔探していた短編の話だった。

村上春樹の蛍という話だ。

「死」について、「生きる」ということについて、感動とかそういう感情的なものではなく、もっと哲学に近いものを中心に書かれている。

もっともこれらを、死を体験したことない自分が感じるのは、本当の「死」の一握りだろう。

実際「死」というのはゆるぎない真実なくせに、ひどく曖昧なものなのだ。

人類すべてに当てはまる事象なのに、人類誰一人として、死についての答えを知るものはいない。

ふむ、なんて不思議なものなんだろう。

命、死、宇宙、世界、過去、未来。

今を構成するすべてのものはなんて確実でひどく曖昧なのだろう。

まぁ、「死」とは誰をも捉えてはいるが、その「死」が訪れるまでは、「死」に捉われないという逆説的な考えもできる、と「死」を感じたことのない自分はそう考えているし、これからもきっとそういう風に、生きていくのだろう。

「死」を身近にまったく経験したことない人生と、「死」という経験をした事のある人生、どちらがいいのだろう?