I LOVE ANIYTHING

自分の興味あるものや購入したものについて書いていきます。

春を味わう会

どうも、こんばんわ。

shunです。

さっき寝たのですが、2時間ほどで起床。

外が暗く、まだ5時くらい?と、思ったら0時でしたよorz

元気いっぱいではないけど眠くないので28日のことを書きたいと思います。

12時過ぎにボランティア先に到着。

お昼ごはんを食べているので、そこにもぐりこむ。

仲のいい小3の子のとなりに潜入。

いつのまに!?っていう反応がよかったです。

あ、もちろんあっちの先生にはちゃんと最初に挨拶はしてますよ。

んで、お昼ごはんを食べ終わった後、食休めをかねてその辺にぐでーっと。

だっこおんぶコールの波状攻撃により、2RにてK.O.

13時過ぎに、今日のメインイベント。

三つのグループに分かれて、

・野草つみ

・買出し

・うどんこね

の役割分担。

自分はうどんに配置。

うどんこねにて、周りの子どもたちの班を周って、

サポートしてたのですが、サマキャン時よりも子どもたちが成長してる。

ちゃんと協力してるんですよ。

当たり前かもしれないけど、ちがう学年の子同士くっつけるといろいろと問題が起きるものです。

でも、がんばってましたね。

特に、ある班では最初の混ぜる段階がうまくいってなかったのか、こねたとき形になりにくかったのですよ。

んで、困っていたのですが、こういうとき誰のせいーっていいがちな子どもが、そういうことを言わず、どうにかしてがんばってました。

一生懸命がんばっているからこそ、そんなこと考えなかったのでしょう。

すっごい嬉しかった。

そんなこんなでうどんこねは終了。

そのあとおやつ→外遊びといういつもの流れ。

久々の外遊び。

「○○(自分の名前)さん、今日野球やろー」

野球大好きな子が、久々に自分が外遊びできると聞いて

すっとんできてくれました。

こういうのにホント弱いね、おれ。

一生懸命バット振ってきました。

なにがって球が速いのですよ。うまいの。

秘儀大根切りを駆使し打率8割をキープww

もう少しであだ名が大根になる寸前でした。

野球では、ある2年生の我が儘な子が一緒にいたのですが、

その子は今回のゲームでふてくされませんでした。

チームの中で誰かがエラーしても、励ましあう。

今までのこの子からは想像できない姿。

日々成長してる子どもの姿ってやつですね。

野球後は、室内にてまったりゆったり。

絵をひさびさにかいてあげました。

ポケモンのルギア。

ルギアって、確か映画の幻のポケモンXって仮タイトルつけられてたっけなぁ。

当時すごいはまっていたポケモン、それがいまやこんなに有名なものになるなんて。

で、気づいたら大幅に時間がすぎていて、

当初の予定の30分以上遅くにあがった。

ま、そんな感じの一日でした。

んで、こっからは表現しにくい問題。

※言葉に気をつけて書いてますが、語彙力不足のため多少語弊のある表現があるかもしれませんがご了承ください※

「障害」

正直、どういう意味と聞かれても正しい説明なんて出来ません。

難しいんだよね。

それが物事に直面してるときは尚更。

簡単に言うと、少し知能面で遅れている子どもがいるのです、自分の今の身の回りに。

どうやって対応すべきなのか。

他と一緒では、ほかの子に迷惑がかかる。

かといて差別はいけない。

差別と区別の違いは?

と、そんなことを考えても答えはでないまま、そういう子どもと接していくことになっています。

正直、失礼なことな気がする。

でも、失礼とかそんな風に見てる時点で、やっぱ差別してしまってるのかな。

前言われたことで、

「障害というくくりで障害者は守られてる。」

もちろん悪意のない言葉です。

障害者は障害というくくりの集団に集められて、そこでひとつの世界を共有する。そして他を寄せ付けない。

そこに、この世界の住民は守られるという意義が生まれるという考えだと言っていた。

一理ある気がするが、どうも府に落ちない。

かといってなにがいやなのかはっきりはしない。

たぶん「障害者」っていう言葉自体が好きじゃないんだと思う。

ただ自分たちとどこかちがうだけ。

でも、他に言葉が見当たらない。

難しいのですよ。

障害者=下

っていう先入観ってものがすでにあるのですよ。

なんていうかね、そういう風に考えてはいけないのはもちろんわかっているんです。

けど、やっぱりそういうのは感情に似たもので思ってしまうと思うんですよ。

それを表に出してはいけないっていうのは、もちろん理解してるし

出してないつもり。

でも、子どもにだめだよって言う自分が少しでも障害について、

下に見ていたらその言葉に説得力はない。

出さないようにしてる感情のようなものが少しでもにじみ出ていたら?

それを子どもがたまたまでも見ていたら?

その可能性は限りなく低いかもしれない。

けど0ではない。

自分っていうのは自分からは見えはしないから。

と、考えているのですが、どうんでしょう?

難しく考えすぎなのでしょうか。

今の世の中、なんでもかんでも、なにかひとつの事象に対しての認識力が低すぎる。

社会問題になってる事象は、一般常識でなくなってる。

もう少し、知るべきだ。

情報の開示が必要だ。

情報を求めることが必要だ。

両方が歩み寄らなければ近づくには時間がかかりすぎる。

少々はなしが飛躍しすぎたが、今日感じたこと。

正確には、この1年ボランティアで感じ、そして悩んだことのひとつだ。

他人に意見を求めたいが、そういう機会もあまりない。

もし、よかったらコレをよんでくださったそこのあなた。

なにか、すこしでもリアクションがあると私は嬉しい。

随分と長くなってしまったが、ここまで読んだ方お疲れ様でした。

そしてありがとうございました。