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自分の興味あるものや購入したものについて書いていきます。

保育日誌(07/05/31)

今日で保育園生活が356日目。思えばいろんなことがあった。

いろんな先生に出会い、いろんな子どもに出会った。中には自分の性格などにあわない人もいた。けど、その人たちから得る物はすごく大きかった。

保育園での仕事は保育だけでなく掃除などの雑務もある。そういうところが自分は苦手で、あらたな直すべき点が見つかった。

今のバイトはサークルのことが関連して紹介してもらった園だ。今のサークルはたまたま子どもとあそぶというフレーズを見て見学にいき、体験でなにかを感じて入部した。

これはある意味偶然。しかし、某マンガの言葉を引用すると、「この世に偶然はない。あるのは必然だけ」と、こうなるのは必然だったのかなと思う。

正直、保育士になりたいと想い始めた頃は今に比べれば結構軽い気持ちだったと思う。しかし、実際にやってみた時の充実感っていうのは肌で感じるものであり、そういうのはやったからこそ選べるものだ。

サークルを選んだときもおそらくなにかを肌で感じて選んだんだろう。

不思議な物だ。必然といったら大げさだが、実際に高3の時の描いていたビジョンとはかなり違う。大学生活も満喫しつつ、現場での勉強。大変だけど自分でやっていて、体に染み付いていってると思う。

そんなことから始まった保育園生活も明日で1周年。とくに何をするわけでもないが、継続っていうのは案外大変なのだ。

バイトをころころ変える人もいたりと人それぞれだが、なにかを遂げる・続けるってのは強い意志が必要だと思う。

なにかを続けるとき、なんかしらの障害があるだろう。そんなとき自分で逃げ道をふさぎ、1人で抱え込む。そんなことは、自分の為にも子どもの為にもよくない。「がんばれ」という言葉は無責任で変な言葉だが、本人が自分を慰めるときにはたくさん使って欲しい。そうやった先に見える物はきっといいはず。

そうやって、少しずつでも前に進もうとがんばるから進めるんだと思うし、ここまでこれたのだと思う。

保育士としての生活はまだまだ続くはず。だからここで満足するつもりはない。

いつも思うに現状に満足してしまっては先に進めなくなってしまう。しかし、適度に自分で自分をほめなければ、どこまで進んでるのかわからなくなり、またほかの人に言われてみないと、自分が今どこへ進んでるかがわからなくなってしまうこともある。

努力は貪欲にするべきだけど、適度な褒美も必要なのだろう。

飴と鞭というやつだ。

そういうものを自分でうまく調節できれば、もっと伸びることができるんじゃないかと思う。

それでも、やはり不安に感じることは多々ある。子供との接し方なんかは、何が正しいかなんて、答えがあるわけではない。やってはいけないことというのはもちろんあるが、こうすれば完璧などそういうものはないのだ。当然だ、なぜなら相手は人間なのだから。

でも、そうした不安を吹き飛ばしてくれるのが、充実感であり、子どもの笑顔である。

そうしたものを得たいがために、自分はこの仕事を選んだのだと思う。

よく、子どもが好きだからという理由で保育士を目指す人がいる。自分もその一人だった。

ある人が言った。

「じゃあおもちゃ屋で働けばいいじゃん」

確かに。子どもの笑顔は見れるし、子どもをしかるということもない。しかし、それでも自分は保育士を目指していきたいと思う。

それは、子どもと一緒にすごすことで、子どもの成長を間近で見て、一緒に自分も成長して、一緒に喜びや悲しみを味わう。

そういうのは、おもちゃ屋とかそういうので働いても得られないものなのだろう。施設も一緒。自分という人間を、子どもたちにサービスとして提供する。

そのサービスの質を上げるには、自分の努力が必要。そして、努力した分だけ、子どもは喜んでくれてサービスの質は向上するといえるのではないか。

サービスとか、そんなわかりにくいことを言いたいのではなく、要は保育園や施設で働くということはそういうことなのだ。

子どもの保育者として子どもと一緒に成長する。

そんな保育士になれたらいいなと思うし、そういう保育士になるために今時分は勉強しているのだろう。

そんなことを思った保育士見習い生活一年目最終日。