今、自分にできること。
近年、凶悪事件が増えている。
こんな見出しでなにか書こうかと思ったが、そう言われるようになってどれくらいたつだろうか。
中学生による凶悪事件があって、法律が変わって取締りが厳しくなって。
また事件を起こす年齢は低年齢化して。
これらは自分がいくつのときだったろうか。
ちいさいとき、というほど小さくはなかったが、最近ってほど最近でもない。
なのに、今も凶悪事件は増えているといわれる。
なんでだろう。
この世の中じゃいけないってことはきっと誰もが感じている。
小学校の道徳(っていまあるのかな?w)とか、中学校高校のHRなどでそういう話を一回や二回はしているだろう。
けれでも、その話をしたことを、その子らはどれだけ受け止めているだろう。
メディアの発達、インターネットの発達により、いまどき小学生だってなんでも触れることができる。よろしくはないが18禁サイトとかだって閲覧できてしまう。
しかし、その辺のことがいい・わるいの区別が完璧にできるわけでもないし、判断だって難しいだろう。
けど、現実は触れてしまってる子もいるだろうし、そういった有害なものを見てしまった子だっていると思う。
それらがいいとされないから、閲覧制限があるのに、見てしまっている。
こういったことにたいして、なにもなされていない。
いやされているのだろう。しかし、結果が伴ってるとは思えない。
ほかのこともそうじゃないか?と筆者はかんがえる。
何事も、目先のことだけやろうとして、できなくて。
ひとつの物事を解決するには、全部見なくてはいけなくて。
こういったことを解決するべきは、子どもかっていうよりは、大人なわけで。
大人っていうのは模範であるべきなのに、最近はそのような雰囲気はない。
時には大人のほうが幼く感じるときさえもある。
大人と子どもの区切りを作る必要はないかもしれない。
けど、威厳っていうものはあってもいいんじゃないかな、と思う。
なにかの、技術で優れてるから、とかではなくて、人間性で優れていなくては。
すくなくとも、子どもよりは。
ニートだとかいわれる人も、結局は働かないことに対して何も思わないわけだから、今の状態に甘んじているのだと感じてしまう。
実際は、それぞれ理由があるのかもしれないが、それでも事実「自分より年上なのに定職についていない」という」ひとは大勢いるのだ。
それを子どもたちから見たらどう感じるだろうか。
大人と子どもの違いというより、社会に出れる人か出れない人かという区切りが今見えないところでできている気がする。
きっと社会に出たって、変な性格の人だっているだろうし、使えない上司だっているだろう。
そういったのも含めて世の中どこかで歯車が狂ったのだろう。
政治家だって、さかのぼれば日本をよくしようって集まった人たちのはずだ。
もっとも戦前とかそういうとこまでさかのぼらなくてはいけないかもしれないが。
そういったことをどうやって改善するべきか。
これは、『日本』という超巨大規模である組織を、再構築することが必要であるということで、誰かがやるだけじゃできない。
サークルや部活で、先生や部長など一部の人ががんばっても限界があるのと同じだ。
つまりは全員が一丸とならなくてはいけない。
と、ここまで書いてみて、具体的にどうやったらよくなるのかが正直わからない。
いや、考えただけでわからない状況なのだから当然だが、なにがいけないのかもよくわからない状況ってのが真実だろうな。
そして、自分みたいに知らない人が大多数っていうのが現状。
そして何もできない自分はここまで考えても、考えてない他の人とできることは変わらないから、なんら変わってはいないという事実。
タイトルで「今、自分ができること」って書いたくせになにもでいない自分が歯がゆい。
ならば、自分はせめてこの世知辛い世の中誠実でありたいと思う。