I LOVE ANIYTHING

自分の興味あるものや購入したものについて書いていきます。

初めての要約。

ゼミにて要約課題。文字指定もないので、おそらく大幅に指導がはいる予感。

まぁがんばった記録ということで。


 絵本は広く世界中の子どもたちに慣れ親しんでもらえていると思う。そんな理由の一つは、子どもが楽しいと思うからだとおもう。そんな中、子どもの発達面において言葉の分野で特に大きく影響を与えていると、私は考える。

 0歳児の子どもはまだ発語もしっかりしていない。それでも言葉は理解している。「いない いない ばあ」(松谷みよ子・文 瀬川康夫・絵 童心社)の本を読んだときの反応の中で、視線が絵本ではなく読み手の顔に注がれるという記述がある。これは、言葉や音のリズムにより、次がどうなるかを期待して、顔を注視するのではないかと考える。読み手が「ばあ」と笑えば、にこっと笑い返す。こういったやり取りがコミュニケーションの入りとなっているのではないだろうか。

 「あなたは だあれ」(松谷みよ子・文 瀬川康夫・絵 童心社)を読んだときの記述では、ワンワンという絵本の文に対して一生懸命ワンワンと真似ようとする姿が見られるというものがある。これは、犬の絵とワンワンという泣き声の結びつきをしっかりと理解し、また声を出す為の喉の使い方などを覚えるきっかけになっていたと思える。上記二点はコミュニケーションや、自分の意思を伝えるという人が生きていくうえで基本的且つ重要なものだと言えるだろう。

 1歳児はごっこ遊びや想像力が盛んになってくる。その中で「もこ もこもこ」(谷川俊太郎・作 元永定正・絵 文研出版)を読んだときの子どもの様子で、「ぷう」というフレーズの時、口を膨らませた子がいた。また「のびのびのーん」(川上隆子 アリス館)を読んだあと、本の内容に沿った大の字に寝るということをしたら、子どもも一緒に真似をした。これらの行動に共通しているのは真似をしたということだ。ごっこ遊びが盛んになるということは自分ではなく他者の動きを真似て遊ぶことだと思う。身近な大人である親や保育士は子どもに見られているということを意識したほうがいいのだろう。

 2歳児は「なぜ?」「どうして?」といった、いわゆる質問攻めを盛んにする月齢である。また、うそっこの世界、つまりは今とは別の物とわかりながらもごっこ遊びを行うことができる。「くだもの」(平山和子・作 福音館)という写真絵本では、絵から味や感触・香りをイメージすることが子どもはできる。こういった五感を使った想像ができるようになってくるのだ。このような絵本を読むと、子どもはやはり絵本に群がってしまう。そういう時、先手を打って子どもひとりひとりの前に行き、取り出して渡して手渡ししてあげることによって未然に防ぐことができる。こういった、発達をしっかり把握して、スムーズに話を進めることも、絵本を楽しませるのには大切だと思う。

 また言葉の面白さをわかり始めるこの歳は、オノマトペ(擬音語・擬態語)がたくさんある本を楽しむことができる。「でんわに でるのは だあれかな」(矢崎節夫・文 奈良坂智子・絵 アリス館)では受話器の形が動物など特徴的なものとなっていて、その形にちなんだ生き物から電話がかかってくる。たとえば「にゃあにゃあ」というものであればネコさんからの電話だとわかる。こういった擬音、つまりオノマトペがふんだんに使われているのだ。子どもは猫など身近な知っているものであれば答えられる。しかし、「ピコピコ」という言葉が出た時、知っているものの鳴き声ではないので子どもたちは予想する。怪獣や恐竜など、さまざまなものを予想する。答えは宇宙人なのだが、知らないものはわかんないからいいや、ではなくわからなければ予想をして楽しむことができる。また、言葉の響き・音自体を楽しむこともできるのだ。

 以上二冊は、子どものが楽しむという面を多くの割合を占める。しかし、次に出てくる本、自己調整機能機能面において大きく影響を与える。「しんくんとのんちゃん かいぶつのおとしもの」(とりごえまり アリス館)では、ハラハラドキドキする場面が多くあるのだが、そのときに、のんちゃんが「だいじょうぶだいじょうぶ」と言う。その言葉を聞いて、本を見ていた子が、同じように「だいじょうぶだいじょうぶ」とつぶやいていたそうだ。自分で気持ちを調整する、つまり自己調整を、絵本を通して身につけたのだ。このあと、保育園では「だいじょうぶだいじょうぶ」が流行だったそうだが、このように絵本に入り込むことでまたひとつ成長した一例だと思う。

 3歳児の項では、「あんなうんとなそんでな」などと、接続語を多用しコミュニケーションをしようという意志の表出が見られる。この項は結論をなかなか言わないため、保育者は心に余裕を持っていることが大切だと思う。「かえるくんのとくべつなひ」(マックス・ベルジェイス文・絵 清水奈緒子・訳 セーラー出版)では、特別な日とは、誕生日なのだが、本を読み終えたあと、特別な日というおぼえたての言葉を使おうとする。子どもたちは、難しく、また初めての言葉を一生懸命使っている。これは、コミュニケーションをしようという気持ちが顕著にでた例だと思う。

 4歳児は、1500から2000語の語彙量をもち、自分がもっとも伝えたいことを伝えようとする。またストーリー性のある物語へと入り込むことができる。「めっきらもっきらどおんどん」(長谷川摂子・作 ふりやなな・絵 福音館)では、三匹の妖怪がでてくる。奇妙な姿をしているので子ども最初気味悪がる。しかし、陽気な三匹のしゃべりに惹きつけられ、おもしろがる。こういった現実とは違う空想の世界をわかっているので、絵本の世界に入り込むことができるのだと思う。

 またこの歳では内言と外言との間とのつぶやきがみられる。「エンとケラとプン」(いわむらかずお あかね書房)では、泣く・笑う・怒るの三つの感情がひろしくん(主人公)の中に住んでいる。その中で、次はエンとケラとプンの誰が出てくるかを、読み進んでいくうちに子どもは予想する。これは、他人の立場に立って考えることができているということの現れだとおもう。また考えたことを、言葉を使って表現するという知的活動をし始めたといえる。

 5歳児は、自我がしっかりと育ってくる。それに伴い、他者を認め始める歳でもある。「あくたれアルフ」(ジャック・ガントス・作 ニコール・ルーベル・絵 いしいももこ・訳 童話館出版)という意地悪なこの話なのだが、それを読んだ時の子どもの様子の記述で、次のようなものがあった。「まるでA君みたい」A君とはいたずらをしたり、ほかの子にちょっかいをかけてしまう子なのだが、読んだあと周りの子のうちの一人がみんなの前で言ってしまった。A君は怒るかと思いきや「まるでぼくのことみたい」と言った。自ら認めることができたのだ。他者を認めることにより、客観的に自分を見つめることができるようになっていた。

 これらのほかには絵本などに対する理解力も発達してきている。「おおきな ものの すきな おうさま」(安野光雅 作・絵 講談社)でそれがみられる。大きい物が好きな王様はタオル・風呂・お皿など、なんでもかんでも大きい物を片っ端から作らせる。そんな王様がチューリップが欲しいと言った時、大きな鉢植えに球根を植えた。大きいチューリップが咲くと思っていた王様。しかし、実際に咲いたのは普通サイズのチューリップだった。これをみた子どもたちは「つくれるもんはつくれるけど、つくられへんものはつくられへん」「じぶんのすきな言葉っかりできるとおもってんねん、この王様」などと言った。作者が伝えたかったことをまっすぐに受け止めていると思う。

 もうひとつ。実際にはありえないIF話(もし~なら・・・)も楽しむことができる。「キャベツくん」(長新太 作・絵 文研出版)では、キャベツ君を食べようとするブタヤマさんに「僕を食べるとキャベツになるよ」と言う。その忠告を聞かず食べてしまうのだが、鼻がキャベツになってしまう。実際にはありえない話なのだが、想像力が発達してきている月齢なので、このような話もこどもたちは理解し、楽しむことができるのだろう。

 以上、年齢ごとにまとめてきたのだが、共通して言えるのは、絵本の読み方がとても重要になってくると感じた。読み手が心に余裕を持って、リズム・抑揚をつけたりとさまざまな工夫が可能であり、必要だと思う。しかし、それ以上に大切なのはやはり読み手も一緒に楽しむ事ができることだろう。絵本はコミュニケーションの面でも、また発達の面でも大きくかかわっているんだなと感じた。

参考文献「絵本で育つ子どもの言葉」(徳永満里・著 アリス館)