さらに・大人問題 著:五味太郎 出版社:講談社文庫
五味太郎サンが箇条書きで問題と思うことについて書いている「さらに・大人問題」の一項、やっぱり「学校問題である」をまとめていきたい。
・ 不登校児をもつ親の連絡会
・・・学校を行きたくないから行かなくなった子がいる親たちを研究しようという会
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氏が公演を行う準備をする際に子どもと一緒にやっている。
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子は楽しそうに、親はどうしたらいいかわからず
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二次会になると「自分が問題」と母親たちがこぼす
⇒「とりあえず学校は出ておけ」「出ておけばなんとかなる」後者は現代に於いては言い難い。でもなんとかなる気がするからと、消極的にとりあえず。
・学校がつまらないから学校に行かない = このラーメンおいしくないから食べたくない
→面白くないけど学校に行っている = まずいけどラーメンを食べている
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子どもは今の状況がわからなくなっている。
・ 廊下を走ってはいけない→ぶつかって怪我をするから
=何事も起こらないようにするのが管理の原則
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「なにか起こればいいのに」が子どもの原則
・ 大人は子どもに「将来なにになりたい?」とよく聞く。
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子どもはそんなこと考えずに暮らしているからわからない。とりあえず、サッカー選手、宇宙飛行士などと一応言っておく。
・ 学校、幼稚園に入ると子どもについて調査書をかかされる。そこに必ずある長所・短所
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長所はともかく、その反対が短所というのが変。さらに、ここでいう長所は協調性があるや想像力が豊かといった類のもの。
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冷蔵庫にびっしりシールを張る子を「想像力豊か・集中力抜群」とはいわない。
⇒学校はいつから読み書き・算盤当の技術だけでなく、子どもの人格形成まで守備範囲になったのか?
・ 「先生は君の将来が心配」→職業名(先生が~)を一人称として使っている。
・・・かなり特殊である。→個人の私が、ではなく一般の先生がしゃべっていることになる。
⇒こういう言い方をする人は個人として生徒のことを心配しているわけではない。
先生という職業柄、あるいは自分のクラス運営上君のような生徒がいると困ると言っている。
・ 学校と言うところはステップアップ(前より、より良く)という形を基本にしている。
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学校だけでなく社会全体が同じ形 →・国の歳収入
・企業の収支
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五年生より六年生が、中学生より高校生が賢くなければいけないし、大学野球が高校野球に負けることは許されない。こんなプレッシャーから開放されることがないのが今の社会。
⇒なぜ今日より明日が良くなければいけないのか。
去年はなかなか、今年はいまいち。さて来年は・・・?ではいけないのか。
・・・これが正しいとなると赤ちゃんが一番おろかで老人が一番賢いになってしまう。
・ まとめ
五味さんの見方は、正直普通ではないと思う。こう思った時普通と言うのはあくまで私個人を中心に考えてなのだ。その時点で、普通と言う言葉はあいまいなのだなと感じた。その普通ではない見方はとても斬新であり、不思議にさえ感じる。今がどうであれ過去がどうであれ、良い物は良いし、そうでなければそうでない。そういったことに正しい・間違いなどと区別をつけることが愚かしいことなのかもしれない。
またこの本は1999年に書かれたものなのだが、これらの問題は現代にも当てはまると思う。タイトルにあるように「大人(が・は・の)問題」なのだろう。つまりは、幼い子どもへ教育・指導できる立場ではない、と五味さんはこの本で言っている。しかし、私が思うに、指導できることはゼロではないと思う。ただ、なんでもかんでも「こうだから」「これが正しい」と押し付けるべきでないと感じた。被害を受けるのは大人ではなく子どもになってしまうのだから、今一度考え直したい。