保育日誌(07/03/19)
今日は、16:30~20:00までの最終コースだった。
このタームは最後のひとりまで見るので帰るのが遅くなる代わり、ひとりひとりと深く関わるチャンスなので結構気に入ってる。
その時間残ってる子の中に、K君という子がいる。
いつも19:30くらいにお迎えがくる子がいるのでよく話したり遊んだりする。だが、なかなか言うことを聞かない、というのも反抗するでもなくただたんに同じいたずら等を繰り返すのだ。
何度も何度も言うとあっちもこっちもうんざりという悪循環。
人の話を聞いて理解しようとしないのだろう。親御さんに話を聞くと家でもそうらしく苦労しているみたい。
やはり根気強く繰り返し言ってみるしか浮かばない。
まあ、その子は年長で卒園式はもう迎えたのであと10日前後でお別れなのだ。
正直さみしい。いつも困らせてばっかりだが、いなくなるというのはさみしいものだ。先生という職業はそこがつらい。
あっちはそこまで深く考えていないんだろうけどねw
いつかあんな先生いたなぁって思い出してもらえたらうれしいな。
あとは、ほかの子との関わりも少し、しみじみしてしまった。
あと何回こうやって話して、抱っこしてあげて、バイバイって手振って、って出来るんだろう。
別に、急にお別れがきまったわけじゃないし、今までどおりでいいんだろうけどなんか考えちゃった。
そうそう、気のせいかもしれないけど、最近Aちゃんがすっごい寂しそうな顔をする。いつもより甘えんぼさんでだっこを求めるし。
やはり子どもも、お別れは寂しいものなのかな。
さて、今日保育中に思ったこと。
・子どもっぽさと大人っぽさの違い。
社会的には金銭面で自立してるとかいろいろあるけど、
今回は注目点はそこではなく、行動。
子どもっていうか幼さっていうのかな。
なんかね、ひとりでお手玉を投げて体全体使ってキャッチしようとしてるの。
すっごい微笑ましいけど、一緒にやろうとは思わなかった。
別に見てて変な行動ではないんだけど、なんでかな。
その行動はとっても子どもっぽく見えて。
たぶん、やろうと思っても足とかは動かさずやるんだろうな、と。
俺の中での今の結論は、「無駄」の有無。
無駄の善し悪しではなくて、経験上の問題なのだろう。
ここをこうすればこうなるってのは今までの経験でみんなわかるはず。
たとえば、立ってて疲れたら座ればいい。
そういう私たちにとって、今は当たり前になったものが、
子どもにはない。
そこが違和感、微笑ましさの原因なのだろう。
ま、だいぶ収拾がつかなくなったが、子どもはそういうことも
いろいろやりながらすごい勢いで成長していくのだろう。
あー不思議w