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連携と自発

今日のテーマは「連携」と「自発」。

その前に今日の出来事としては、学童で行われたいつもの催し物に参加して、あのタラコを踊ってまいりました。

反応が思った以上に薄く、煽りをもう少し練っておくべきだったと反省。

学童は関係ないが、近くの公園で、過去の日記にも出てきている、卒園生のやんちゃなK君。一ヶ月ぶりにあいました。

卒園生・卒業生に会うっていうのはこういうことなんだなって思える感情がわいてきた。やはりこの道を進もうと思う。

さて、「連携」について思うこと。

保育園でも、学童でもいえること。むしろ、一般の社会では当たり前であろうコミニケーション。

社会で生きていくには、他者との関わりを大事にし、有効に活用しなければならない。

社会で成功してる人、気の聞く人というのは他者との会話を有効に利用し情報を常にあつめ、先へ先へと考えているからだと私は考える。

しかし、実際に現場に出てみて、「いい」現場と「わるい」現場というのが在る。

なにか、二つの団体がひとつのことをやろうとする。

そのとき、毎回話し合いの時に前回話し合ったことをまったく知らない人たちが話し合ったっていつまでも話は進まない。

団体内で同じ人が出れないならしっかり話を伝達しておかなければ二度手間なのだ。

つまり、なにか伝達事項があったとき、伝えればそっちの団体に伝わってると思ったら伝わっておらず、挙句の果てに意思の疎通まで出来てなくてこっちに言われる指示が、対応する人によって変わってしまうという自体が発生する。

そうすると、場は混乱して、物事はスムーズに進まなくなる。

何かがうまくいかないときというのは、何か原因がある。

これはひとつの原因であると思う。

で、これが起きるとなにか問題が発生してから対処するという受身の形になり、後手に後手に回るのだ。

開催側が、後手に回ってはいい催し物をこなすのはなかなか難しいのではないか。

そして、迷惑を被るのは、企画者はもちろん行き当たりばったりで大変だが、下につくものはもっと大変なのだ。

急に何か仕事を任されたり、矛盾した指示を出されたり。

こういう事例を実際に見て、苦労してる側という偏った面から見た意見・感想である。

連携って言うのは難しいが重要性を占めているなとやはり思う。

「自発」について思うこと。

ボランティアとは、自発的に活動するものだと定義されている。

しかし、実際にボランティアという立場に身をおいてみてわかったことはいろいろあり、自発的というのは案外難しい。

ボランティアサークルっていうもの自体が、なんだか矛盾だらけの名前だからな。

まぁ、今回の「自発」はそこではなくて、もう少し限られた場での「自発」について考えてみた。

なにか、準備をする段階で指示が何も出ていない、という状況はあまり珍しくはないだろう。上に立つ人が多忙すぎて、または何か危機的状況に陥ることだって考えられなくはない。

その時、フリーに動ける人間はなにをすべきか。

①指示がない限り、待機。

②自発的になにが必要か考え行動する。

②のほうが理想的。こんなかき方しなくてもわかると思うが。

もちろん、①だって間違ってはいないし、迷惑はかけず、上をしても手伝ってくれるだけ感謝ものだ。しかし、心の中では、もう少し動いてよ・・と思うこともあるだろう。そこなのだ。①と②の違いは。

何事も指示に忠実に待っていては、だめなのだ。もちろん、だからといって何も聞かないのは大問題だ。

そこの加減が難しいが、指示待ち症候群にかかっていては、

何かをしてる人にとっては、なんだよ。。って思われかねないのだ。

指示を待つのではなく、~をしようと思うのですが、やっても大丈夫ですか?など具体的な質問をすれば、少しは違うのではないか。

実際にに、物事に余裕がない時は、そんなこと考える暇もなくどんどん話が進んでしまう。しかし、周りを見れるようになって気づく点というのもたくさんあるのだ。

同じ立場の人も、なにかを受け取る人も、人間なのだ。

何事も一律・一様にはいかないものだ。