ラジオ
さっき、レンタル屋のバイトのあと、アキヒトのラジオを聞こうと思ったら、なんかやってた番組があった。
あ、ちなみにアキヒトのラジオは1日日にちがずれてたことに、25時になって気づきました(・ω・;)
途中からしか聞けなかったため、完璧にはわからないが、ラジオの内容は、『中学時代に受けた虐待が許せず、母親に暴力を振るい骨折をさせてしまった男の子とラジオの司会者が語る』という物だった。毎回テーマは違うのだろうが、電話越しに男の子と会話していた。途中母親ともはなしたりと興味深かった。
話を要約すると、
・中学時代に暴力による虐待をうけた
・現在高校生
・母親に報復として暴力を振るってる
・暴力により母親は骨折
・中学時代に児相に行っていた。
・男の子は1人で抱え込んでいた。
母親と司会者との会話で、考えさせられた。
母親「自分が悪いから殴られても訴えない」
司会「殴られることを許していたら、男の子がかわいそう」
司会者は怒っていた。責任を感じてるにしても、許してしまったらこの先社会にでて、むかついたら暴力で訴えてしまう人になると。
ここからが自分の考えなのだが、悪いことをしたら、怒ってあげる。これは愛情だと思う。感情に任せて怒るのではなく、相手のためを思って怒る。
これは子どもとかそんなの関係なしにいえることじゃないだろうか。
話は変わるが、この男の子は1人で抱え込んでいた。誰にも相談できず、表現もできず、学校でもあれていたそうだ。
担任の先生は何をしていたのだろう。
学校の先生はなにも気づかなかったのだろうか。
母親はなにもしなかったのだろうか。
大人と子ども。分ける定義は難しい。ただ、こういうときはそういう風に考えるのではなく、1人の人間として、様子がおかしいと思ったときなにもしない・できないとなると大人ってなんなんだろうと思う。
ちっちゃい頃、大人はなんでもできると思ってた。もちろん今は理解している。では、自分はいつこれに気づいたか。
中学時代だったと思う。世の中が見えてきて、自分でものを考えるようになった。
大人はなんでもできるというわけじゃない。けど、できることをやらないのは大人なのか。
また、この話の先生の立場に自分が立ってみて、自分はなにかできたか。
そういうことをかんがえると大人と子どもという言葉になんの意味があるのだろうと思った。
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AM1242、日曜日24~25時の番組を聞いて。
※この話に関する情報を待ってます。