人間的欲求と感情
人間的欲求と感情
人間が人間らしく生きるためには、感情が不可欠です。
感情を持たず、機械的に過ごすことは生きているとは言い難いかもしれません。
しかし、時として感情が煩わしく感じることもがあるのも事実です。
今日はそんな感情と欲求について思うがままに書いていみたいと思います。
人間的欲求
生理的欲求、社会的欲求など様々なものがありますが、割とおおいのは承認欲求ではないでしょうか。
他人に受け入れられたいと思うのは人の常であり、受け入れてもらえなくなるとネガティブな感情が生まれる。
これに関しては、受け入れられていないかもしれないという不安からも同様の感情を抱く場合があります。
この感情は、本来他人かrの評価に依存していなければ起きないのではないでしょうか。
しかし、昨今においてSNSにおいていいねがほしいという感情も、誰かと繋がっていたいという感情も承認欲求、そして疎外感への恐怖だと思います。
もしかして・・・
相手にそっけない態度を取られると自分はもしかして嫌われているかもしれないと不安になることがあります。
こえを超えるために、私は嫌われているということにして考えることをやめます。
具体的には、嫌われていると仮定して何かを悩むことが不毛な問題であり、嫌われているものと受け止めて実害が何かを明確にし、具体的な策を講じるのが合理的なのです。
7つの習慣では、外的要因から受ける反応は、自分自身が決めているとあります。
相手がこうかもしれないという不確定事項ではなく確定事項として思考をシフトすることで無駄に悩み続ける必要がないのです。
感情の表出
上記のことを感じるのは、そもそも相手から感情を表出されていると感じるからでしょう。
私の周りには感情に関して大きく分けて2種類の人がいるように感じます。
- 感情を表出させないように状況に応じて我慢をしている人
- 感情の赴くまま敵意に近いものを向ける人
ネガティブな捉え方
後者は絶対的に場を乱すことが多く、私にはあまり理解できないタイプです。
しかし、多いのです。こういう人といるとすごく疲れます。
こういう人に対しては、こういう風に言わないと自分で自分を保つことができないんだな、と考えるようにしています。
前者は、感情を多少派出しても、場の空気を読んでいることが多いです。
ここtで、怖いのは感情を隠し通す人は、本音が読めずなにを勧化ているかわからないのです。
往々にしてこういうタイプは、自分の感情や思考を多くは語らないため恐怖を感じることもあります。
ポジティブな捉え方
前者の人は、取り繕うのがうまく社交性も割と高い人が多いです。
後者の人には羨ましく感じる「と尾もあります。
もちろん他人に対して敵意を向ける「と尾に関しては賛成しがたいです。
しかし、自分の感情を本能の赴くままに表出できるというのは、できない人間からすれば羨ましいもです。
Utopia 感情なんてもういらないよ
私は、時折感情をとても疎ましく感じます。
不安に駆られ、些細なことで悩み、後悔をします。
すごくネガティブな感情にひっぱられ周りを全て否定したくなります。
そういう時、数字や機械は機嫌のような曖昧な物ではなく、きっちりとした根拠があるものを求めます。
それか、全く関係ないフィクションの世界へと飛び込みたくなります。
要は逃げたいのです。
逃げるという行為、これは恥ずかしいと思われがちです。
しかし、自分にとって最悪な状況を浮かべた時逃げるというてお講じることで回避できるのであれば一つの合理的手段です。
追い詰められている時は自分自身のことを冷静に見ることができません。
誰かに頼るというのは、至極簡単です。
そして同時にあまりにもひどく難しくも感じるのです。
矛盾するかもしれませんが、感情の赴くままでに行動ができないのであれば至極合理的に感情をコントロールしたいのです。
自分の感情をコントロールするために手書きで感情を表出させ他人に迷惑をかけず発散したいと思います。
セルフコントロールができず、自分のなすべき行動が明確でないとこうも不安定になる物なんですね。
まだ自分は成長できると前向きに考えることにしたいと思います。
まとまりも落ちもない文章ですが、ここまで読んでいただきあり上がろうございました。