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しつけについて

 しつけとは「躾」という字を書く。これは本来、着物などを仕付けるの意から使われてきた。仕付け糸は着物の形がある程度できてきたらはずすのだが、現在使われている躾という言葉には前者の意味しか含まれておらず、後者はほぼ皆無なのが現状だと思われる。これらを親子関係に当てはめると、こどもにある程度しつけをするのはいいことである。だけど、その仕付け糸で雁字搦めにしてしまうことにより、子の親離れ、親の子離れがすることができないのではないだろうか。仕付け糸は、はずすべきであり、親も子から離れるべきなのである。そしてはずしてもしっかりとした着物が崩れないのと同じように、親が離れても個が一人前であるように、しつけるのが親の役目だと思う。

 さて、自分は上のように考えるのだが、こういう考えるという行為はいろいろな人がしていると思う。そうやって、考えを発表し、これではいけないと考える人はたくさんいる。それは最近ではなく前から存在していた。だけど、改善されない。いまだに問題はある。その原因は具体的な解決策が見つからないからだと思う。どこがいけないのかはわかっていても、何をするべきかはわからない、そういうことだらけなのではないだろうか。

 そういう現状にはなにか原因がある。その原因を私は、要因の複合されていることだと考える。こうなってしまったのは、社会の現状があまり正常ではなかったり、時代の流れにより、各家庭の経済的水準が上がったりと、環境のめまぐるしい変化があった。また、現在、親である大人がこどもだった頃と今では何もかもが違いすぎる。そんななか親も葛藤し苦しんでいるのに、そこに気付く人は少ない。環境の変化や親の葛藤、そんななかこどもの葛藤もあるわけだ。絡み絡まったこれらの問題はそう簡単に解けそうはない。

 その中でこどもの葛藤に焦点を当てたいと思う。子は親のことが大好きである。好きで好きで仕方がないの。だからこそ、いい子でいたいから言いたいことも言えなくなる。だけどそれが爆発してしまって、何らかの形で出てしまう。逆に好きだけど、欲求に任せて自分の好きなようにやれば、親からは嫌われてしまう。その両極端をいったりきたりしているのだろう。理想は、両方の共存だろう。いい子でずっといた子がある日、何か問題を起こす、そんな事件はそう珍しくない。それは、知識としては善悪は知っていたが、社会においての善悪の葛藤、つまりはジレンマで揺れていながらも、答えが出せぬまま臨界点を突破してしまったのではないだろうか。それは、葛藤を幼い頃に行わず、親により支配されていたから起きてしまったのではと考える。幼い頃に親に反抗するということも時には必要なのであろう。善悪のせめぎあいは致し方ないことだ。そこから逃げることにより問題を先延ばしにして、結局取り返しがつかなくなってしまうのではないだろうか。

 これらを解決するには最低二つは必要だ。ひとつは、葛藤を繰り返し、自分を見つめることだ。自分と対話し考える、それらを繰り返すのが大切だと思う。そしてもうひとつは、大人も待つのだ。こどもは親に嫌われないように我慢し、機会を待つだろう。だけど我慢できないこともきっとあるとおもう。そんなときは親も我慢することが時には必要だと思う。そうやって両方が互いを尊重し、共存できればいいと思う。共存なので自分の意見は決して忘れないことがそこには欠かせないものと私は考える。