話し合い
今日は以前書いていた話し合いがあった。
園長先生とその他のバイトの先生を交えてのものだったが、実質園長先生が話した感じだった。
その中で、よく出たのが
「子どもが主体」
当然だ。だけど、今の自分らの保育を見ているとおろそかになってしまってるように見えたんだと思う。
あれだけ言われたということはそういうことなのだろう。
あとは、見るだけではなくそれを気付いたときにどうするか、という問題だ。
気付いた・見ていた だけではいけない。
もっと言えば注意しただけでも意味が無い。
たとえば机の上に子どもが上ったとする。
それはいけないから注意をする。
しかし聴かない子も当然いるわけで。
だけど言ったことで満足してはいけない。
やめさせなければ意味が無い。
あとで事故になったとき・怪我をしたときにいったのにやめなかったなんて言い訳、通用しない。
ずっとこの間もめた先生の行動を見ていて思ったことだ。
あとは、場・空間の把握。
これが出来てないんじゃないかと思う。
自分だけできるとかそういうわけではないが、
バイトの先生のある人が、自分がいるときといないときに子どものいうことの聞き方が違うといっていた。
自分は学童とかそういったもので結構なれているせいか、ある程度把握出来てると思うし、常に努力はしているつもりだ。
こういった自分は出来ている と思ったことが今日の会話の中ででた。
なんというか、結局は今後次第なんだと思う。
自分も含めて変われるかどうか。
難しいところだ。
さて、今日の話し合いでの少し考えたこと。
片づけをしたがらない子どもがいる。
そういった子はどうしたらいいか。
そう考えたとき、ある先生がいった。
次が楽しみじゃないんじゃないか、と。
それは今後どうにか活かしてみたいなと思う。
あとは普段から褒めちぎる。
それは重要って言う話もでた。
やはり褒められたり、感謝されたりは誰でもうれしいものだ。
つまりは、
叱る<褒める
であるべきなのだ。
これは結構盲点かもしれない。
よく考えれば当たり前なのだが。
最後のまとめとして、子どものために、子どもが主体ということをもう一度考え直すべきだったんだなと思った。
今回園長先生がそういったことを言って下さって調度良かったと思う。
あ、白い紙の紙飛行機の件は、軽くしか議題にあがらなかったが、考え直します、とまでは言わせることが出来た。
まだ頭固いなぁとか思ったのは内緒の話。
話は変わるが、園長先生の話の組み立て方がすごい参考になった。
もっとそういう技術を見習いたい。