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絵本を読んでみる(五味太郎・小野明 平凡社)

絵本を読んでみる(五味太郎・小野明 平凡社

絵本を読んでみるの10項「かいじゅうたちのいるところ」をまとめていこうと思う。

1、冒頭(現実)

原題 : WHERE THE WILD THINGS ARE

WILD = かいじゅう と訳されているが、乱暴者・粗野なものとも解釈できる

マックスは怪獣の着ぐるみをきて暴れる。暴れると言ってもいたずらレベル。

怪獣の着ぐるみは自分で作ったのか?

買い与えられた可能性が高い

怪獣であることを母親は許容している。・・・ いたずらレベルの「あばれる」に対してご飯抜きという懲罰も乱暴そのものでは?

表紙の怪獣は父や母?

2、中盤(空想)

タイトルの WHERE が、ここからの旅を表している。

自分と同じWILD探し。

船に名前があり、おもちゃのような船。

He said off through night and day(彼は昼も夜も航海した)

And in and out of weeks      (一週間が過ぎ)

And almost over a year.       (一年が過ぎた)

旅の時間=閉じ込められている(体感的な)長い時間

怪獣たちの登場 → 表紙の二匹がいる ・・・ 現実(母や父)から逃げたのに、出てきてしまう。

怪獣たちをWILDに手なずけるのではなく、magic trick(怪獣慣らしの魔法)を使う

暴れたいわけではないのだろうかという、疑問。

怪獣の絵 → にわとり・牛の延長 → 家畜が主 ・・・西洋的・キリスト教などの背景

“let the wild rumpus start!”(怪獣踊りを始めよう)

→WILDより、かわいいいたずら。  ・・・ 好き勝手に生きるという反社会的行為

WILDというイメージの違い

日常では好き勝手に暮らしたい。けどできない。

→かいじゅうたちの中に大人しかいない→父や母を含む大人による制約が無意識下に。

怪獣おどりをやめる → set the wild thing off too bed without their supper.

→母がマックスに対して行ったことと同じことをする。→大人への仕返し

wanted to be where someone loved him best of all

自分をちゃんと愛してくれる人のところへ帰りたい

Oh, please don’t go ―― we’ll eat you up ―― we love you so.

行かないで。      食べちゃいたいくらいお前が好きなんだ。

→寂しくて帰りたくなったというより、かいじゅうごっこに飽きた気がする。

3、現実

ここで、一瞬でトリップして帰るのではなく、きた道をたどってくる。

帰ってくると微妙な変化はあるが、ちゃんともとの自分の部屋に。

スープがおいてあって、まだ温かかった

母親か誰かが部屋に入って置いて行った。 → その時マックスはどこに行ってたのか?

ぬいぐるみの脱ぎ方などが一仕事終わってやれやれという雰囲気

トリップすることに慣れっこ

⇒幻想にふけっていたというより、本当にいなくなっていたのかもしれない。

・・・服装は(与えたので)認めているのに、閉じ込めてしまう→躾というより日常の生活の一部。

最初は左ページが真っ白、右ページも白枠があるのに話が進むにつれて段々白い部分がなくなっていく。

→現実と空想の混ざり具合を表現しているのかも。

・・・最後のページのぬいぐるみを脱ぐシーンではまだ右ページに白枠がない

まだ幻想の世界よりなのかも。

4、まとめ 

絵本作家で有名な五味太郎さんによる絵本考察だったが、すごい深いところまで読んでいるなと感じた。

そして、その深い読みに耐えうることができたこの「かいじゅうたちのいるところ」だったと思う。五味さんの着眼点は、自分にとってすごい斬新だった。

この考察を読んで感じたのが、現実と空想の定義のあいまいさだ。作家や読み手によって当然変わってくるのだが、これらは子どもの発達によっては、現実と空想が区別がつかないので、すべて現実なわけである。また発達に関係なく、これを空想と捉えない子だっているだろう。そういったこどもの自由な発想をどう捉えるかがとても興味深いと感じた。