五味太郎 「うさこちゃんとうみと…」 『ユリイカ第39巻8号』 青土社 2007 89-93項
縞の靴下とふざけたキャラメルとうさこちゃんと海をもらった。
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靴下はあげた。キャラメルは舐めた。それらとなんら変わらないと思い、絵本も部屋の隅っこにほったらかしになっていた。
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二、三年後なにかの折にふっと表われ出た。ふーん、絵本ね。
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とりあえずぼくはこの本はなかなかいいと思ったのである。だから薄汚いけれどいちおう本棚というようなものにこの本を立てたのだ。
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あえていえばぼくの人生に組み込まれたということである。組み込まれたはずだった。
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なのにそれ以降ほとんど顔を出さなかった。うさこちゃんがいることは知っていたけど、きちんと姿を現すことはなかった。
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20代の終わりごろに絵本描きという具合めでたく絵本描きになったのだけどそのプロセスにうさこちゃんはまったく影響していない。うさこちゃんと無関係のまま絵本作家をやっていた。
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ディック・ブル-ナー作、石井桃子訳という形で『絵本を読んでみる』を書く際に浮上。
ごく自然にあった。←読み応えのありそうな本を10冊ほど選んだ中にあった。
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なぁんだ、うさこちゃんはずっとぼくの中に居たんじゃないか、無関係のまま絵本作家をやっていたなんて言っちゃってごめんね、という感じである。
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20年前のあのわくわくは文章そのものであったのではないか
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あくまでこの文章は石井桃子の文章で、その原本がどれかはさして問題じゃない。
そして世界中のどこの国よりも、ぼくたちのうさこちゃんは魅力的なんだと思う。
そのことをブルーナ氏との対談の折に伝えようとした。
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「日本の文化に敬意を表します」と穏やかにおっしゃった。
うさこちゃんとうみの魅力のひとつはなんといってもあの絵だと思う。それにくわえて、あの文章。そっけないようなそうでないようなあのなんとも形容しがたいものがある。