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保育所における障害児への配慮について

 保育所において障害への配慮を行う場合まず考えるべきは、障害の種類である。肢体不自由なのか知的なのか、併発なのかによって変わってくる。

 それらの違いはあるが、変わらない点もある。それはまず職員の配置である。障害を持った子がクラスに入った場合、職員がひとり増えることになる。これは保育所保育指針に定められていることでもある。しかしそれ以上に、ひとりひとりに手を割く時間を考え、質の高い保育を行おうとするならば職員の人では絶対的にたりなくなる。

 肢体のハンディをもった子が入った場合、上半身なのか、下半身なのか、それとも左右どちらかの半身が不自由なのかで大きくかわる。ちょっとした段差ひとつとっても、足が不自由ならおおきな障害物だ。また車いす等で登園するならば門の開き方、門から保育室までの距離、道のりにおいてさまざまな障害が考えられる。それらに対してすべてを取り除くことが好ましい。

 また、実際に園で生活するにあたって、特別扱いが好ましいとは言い難い。よって、なるべく健常児と同じ生活を送れるようにすることが考えられる。そうすると、健常児とともに遊ぶということが考えられる。子どもは正直である。なぜ、どうしてという疑問をため込まずにすぐに口に出す。しかし、それに対してしっかりと答えてあげれば、子どもは柔軟性もあるのですぐに受け入れることができる。問題なのは、保護者だ。いろいろなことを思う親がいるだろう。そういった周りの保護者への理解をもとめることが必然的に必要になってくる。もちろん、そのプロセスを踏めばさした問題ではない。

 保護者という点では、障害を持った保護者に対しての、安心して預けてもらうためにいろいろ必要となるだろう。これはほかの保護者にも言えるが、自分が納得している園でなければ子どもを預けたい、安心して子どもを預けるということは難しいだろう。そのためにも、保護者には、一つひとつ疑問に対して答えていき、ニーズに対してできることをやっていくことが必要となる。

 ここで問題なのが、対応にかかる諸経費だ。保育経営費用が潤沢なところは数少ないだろう。どこまでできるかが実は大きな問題なのではないだろうか。

 以上にわたって肢体不自由の場合考えられる点を列挙した。次に考えるのは、知的面、つまり軽度発達障害自閉症ADHDアスペルガー症候群と呼ばれるたぐいの障害を持つこの場合である。

 まず第一に必要なのが、保育者の意識だと私は考える。子供は一人の人間であり、みんな平等がこのましい。しかし、できないことを無理やりやらせようとすること、まわりに合わせて「同じ」を強要することはときにとても残酷なことである。たとえば、自閉症の子どもは大きい音を好まない。しかし、保育室でみんなが騒ぎ出したとき、そのままその子がその場にいたとする。私たちも大きい音には多少の不快を感じることはあるだろうが、この子が感じる不快感はそれの比ではないだろう。また、赤ちゃんなどの鳴き声も、苦手な子はとても苦痛なのだろうと思う。こういったとき、担当の職員だけでなく、園の職員全員が、この子の苦手なことは何かと知っておくことで、未然に防ぐことができるのではないだろうか。担当の先生だって人間である。配慮が足りないことだってあるかもしれない。しかし、その時に担当の職員一人が責任を負うのではなく、みんなで助け合って日々を過ごすことが好ましいと考えられる。

 また肢体不自由の場合でも書いたが、まわりの保護者の理解を得ることは必要なのは言うまでもない。とくにアスペルガーなどは間違った認識をした人が多い。そういったとき、間違った知識で偏見を持ってしまった場合、お互いいい保育生活を過ごしているとは言えない。障害というものに対して、ひとくくりにしないでほしいが、そこを伝えるいい機会と考えることもできると思う。

 以上にわたって、障害児に対する園の配慮を考えてきたが、やはり一番は、いい保育園生活だと思う。そのいい保育園生活というのは、健常児だけでも障害児だけのどちらかがいいだけじゃ駄目である。ましてや、保育者が両者の板挟みになるのも違うと思う。それぞれが快適に過ごすために、どうやったらいいか、それが必要だと思う。そういった面では、健常等に関係なく、保護者と保育者・園との関係が順風円満であることが大切であり、そうであれば、自然と問題があっても解決へと向かっていくのではないかと私は考える。