やらないで後悔するよりもやって後悔する方がいい
後悔をするということは、生産的ではないと考えている。
見出しの通りだ。というのも、後悔をしている場合、大抵頭の中にあるのは、
- こうすればよかった
- これをしなければよかった
- なぜあんなことをしたのだろう
といったものが多いからだ。
反省と改善の違い
イベントや企画運営が終了すると、会議の中でしばしば反省会というものが行われる。そこにあるのは、以下のようなことだ。 - これがうまくいかなった。 - これが足りなかった - 準備不足だった - もっと声を出し合うべきだった
などできなかった部分の列挙が多い。それは、企画の9割が成功していたとしてもだ。 しかし、反省会ではなく、改善会と名前を変えるとどうだろう。すこし違った見方ができる。
- これがうまくいかなった。
→ここがうまくいかなったから次回はこういう手法がいい(具体的手法の提案) - これが足りなかった
→今回使用したもののリストをまとめ、次回の似た企画ではリストを参照する(準備のシステム化) - 準備不足だった
→準備の開始時期の見直し、準備にかかる日数と人手と材料な兼ね合いの見直し(計画の見直し) - もっと声を出し合うべきだった
→事前打ち合わせを行い、その上で足りない部分は率先して声に出すことで情報の漏れをなくす
実際に現場処理になるとなかなか想定通りにいかないことが多い。しかし、それを踏まえて企画運営を行うことが本来行われていかなければ組織としてはいつまでも成長しない
自分で選んだ道
自分は、今の言葉で言えば「パワハラ」と当たるような行為を受けてきたし、組織に不当な扱いをされたこともある。
その時はやめようと考えたこともあったが、まずはこの1年だけは、、と耐えてきた。
その横で、文句をいう同僚もいた。たしかに正論だったかもしれない。しかし、正論を言うのならばすぐにでも仕事をやめればいいのでは?と思っていたのだ。もちろん、口には出していないが。
自分が今立っているこの道は、自分で選んできた結果だ。それを自分はどこで学んだのか。正直、これといったものは思い浮かばない。しかし、ふと思った時に、高校生の時によく遊んでいたFINALFANTASY8のキャラクターがこんなセリフを言っていたのを思い出した。
いつだって選べる道は少なかった。時には道は1本しかなかった。その、少なかった可能性の中から自分で選んだ結果が、僕をここまで連れてきた。だからこそ僕はその選んだ道を…、選ばなくちゃならなかった道を大事にしたい
ここで言えるのは自分の選んだ道なのだから後悔しないよう悩み、そしてそれに対して前を向くべきだと思う。
よく、後輩や同僚の愚痴を聞いた後に、最後に伝える言葉がある。
「それで、あなたはどうするの?」
これを言われるとイラっとする人もいると思う。現にイラっとされてきたこともある。 しかし、ただ愚痴を言っていてもスッキリしただけでまた明日から同じ日々が来るのは変わらない。 だからこそ、「どうするのか」を考えて欲しいし、自分で進んだ道を後悔しないで欲しいと思う。
まとめ
1日に対する時間が足りないとよく聞くが、それをいっても仕方ないといつからか考えるようになった。
睡眠時間を削ったこともあった。
仕事の時間を増やし土日も仕事に費やしたこともあった
でも、それは長続きはしなかった。当たり前だ。人間なのだから。
そこにある感情を無視しても、なにもうまくいくわけはない。
自分のモチベーションを保つために、あえてシステマチックにすることで、私はうまくいった。
taskchutecloudというサービスを現在利用している。 たすくまというiPhoneアプリを使っていたこともあった
これは、私にたまたまハマっただけだろう。万人がこれを良いと思うわけではないだろう。
どちらも有料だし。
しかし、なにかとやってみるのは悪いことではないと思う。
ただ、最後に一つ。
仕事のために有料プランを使いたくない?有料アプリにしては高い? そんなこと言っても、毎月3000円以上かけて愚痴るために飲んでいるのなら、そこまでお金にこだわらなくてもいいのではないでしょうか?
騙されたと思ってやってみるといいかもしれません。