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感情の沸点が低い人に対する配慮の仕方

私は八つ当たりが嫌いです。

今まで自分でされてきて、嫌だったことをしたくないという気持ちを強く持っています。 -人にされて嫌なことをしない この言葉を聞いたことある人は多いのではないでしょうか。

場合によっては自分の身近な子どもに対して言ったことがあるひともいるのではないでしょうか。

しかし、世の中それができない大人がたくさんいるのも現実です。

今回は、そんな感情の沸点が低い人にたいする配慮を考えてみたいと思います。

人によっては仕方のないもの

いきなり諦めてしまったような見出しから開始ですが、これが本質だと思っております。

大切なのはこの現実を受け止めた上で、どのように自分が相手と関わるかということではないでしょうか。

これができない時があるのはなぜかと考えたときに、以下の2点が浮かび上がります。

  • 相手の振り幅が読めないと疲れてしまう
  • 感情を出すことに対する忌避感があるために、相手に対する不快な感情が表出する

相手の振り幅が読めないと疲れてしまう

自分が思っていたものと違う反応があると、それに対してどう返そうか考えてしまいます。 それが自分が進めたい方向と真逆だったり想定していない反応だった場合、疲れたり、イライラすると言った感情が表出し、そんな自分に対して嫌悪感を抱きます。

感情を出すことに対する忌避感があるために、相手に対する不快な感情が表出する

そもそも、人と人とのコミュニケーションにおいて、感情をぶつけるということ自体良いと思っていない場合、その反応をしている人ん、つまり人格に対して否定的な感情が出てしまう場合があります。

人としての資質

私個人の見解では、よほど親しい仲でないのに、自分の感情を自由に表出させるというのはあまり褒められたことではないように感じます。

いわゆる常識的な考え方と以前までは思っていました。

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのこと常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう

アルベルト・アインシュタイン

しかし、上記にあるように常識という言葉自体が曖昧なものだということに気づき、また多種多様な生き方をそれぞれがしている現代においては、常識という言葉はあまり意味のないものとして感じています。

日本古来のことわざに、親しき中にも礼儀ありとありますが、昔からこう言った言葉があるということは、それを守っていない人が一定数いたということの裏付けになるような気もします。

自分の理解できない人がいる現実

生まれてからほぼ一緒にいた子どもですら赤の他人と言いますから、自分と違う環境で生まれ育ち経験を積んできた他人というのは、理解できないのが普通なのです。

自分自身よく忘れそうになるのは、完全に人を理解できるという考えがおこがましいということです。

相手を理解することは大切ですが、自分自身を過信しないように気をつけるための戒めとしています。

実際にどう関わるか

さて、実際に関わるとなると、もはや仏の湯おな心がないと難しいのではないかとすら思い始めています。 ただ、目的をずらさないことだけは忘れないようにしています。

本質は傾聴と同じなのではないでしょうか。 小手先のテクニックでうなずくタイミングや表情などを気をつけることよりも、相手と上上手にコミュニケーションをとりたい、気持ちよく仕事をしたいなど目の前の問題解決ではない視点が必要だと思います。

投げやりな気持ちで関わると相手に伝わります。

逆に、目的が逸れなければ、次の一手を見つけようと思えます。

それでもだめなら距離をおきましょう。

  • 好きの反対は無関心

私もあなたも人間です。

すべてうまくいかなくてもいいのです。

私は、一緒に働きたいと思える人を念頭に置き仕事をしています。

あなたのミッションステートメント、つまりは人生においての行動し指針やコンパスはなんですか?

よければこの機会にぜひ考えてみてください。

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