備忘録 未完成の概念
目次
未完成
世の中に完成品なものはたくさんある。では、完成されたものはどれくらいあるか、と考えたときに、実はそんなにないのかもしれないと思う。
なぜなら、 - 人間 - 技術 - システム
こういったものはいまでも変化を続けており明確なゴールがない。
ゆえに、完成をすると同時にこの先は望めないものと同義になってしまうのではないか。
製品における完成・未完
世の中に流出している「製品」だってそうだ。これらは、ある程度の水準は満たしているが、これ以上変化をしないという意味では、完成はしていないもののほうが多いように感じる。
つまり、製品化と完成は違うのだろう。
いつ完成するのか
これらは、いつ完成するのか。
端的に言えば、「完成」と作成側が決めて仕舞えば完成だろう。
この完成は2つの意味があるだろう。
- 現時点では最善を尽くしたもの。しかし、これ以上を次の段階として目指す
- もうこれ以上改善も変化も望めないもの
完成を目指すべき?
結論から言えば、闇雲に完成させればいいわけではないだろう。
必要なのは、目的に沿った歩みだ。
つまり停滞せず、少しでも前に進み続ける、これを未完と表現したとすると、未完成はいけないことではない。
向上心と自己肯定感
最善を尽くしたものを形にするのは一つの完成と呼べるだろう。
その完成が作成者側の自己肯定感を育む。
成果が上がらず続けるというものほど苦痛はない。
そこに、「いまのままで終わりにするのではない」という向上心があるからこそ、未完であり、未完であっていのだろう。
言い換えれば、未完であっていいのは、目的に沿った歩みを続けている時だけだ。
人としての未完
上記の完成は製品としての完成・未完であったが、これらは人にも当てはまるだろう。
人はいつまでも未完であある。しかし、未完であることがいけないのではない。
必要なのは、成長しようという向上心だ。 その向上心がなければ停滞し、成長は望めない。
そしてもうひとつ必要なのが、自己肯定感だ。
ある程度の部分まで成長した自分を認めなければ向上心を保ち続けることは難しい。
7つの習慣における一つずつの段階を達成したかを振り返る際に自分のやってきたことを自分で認めることも良いのではないか。
- 向上心
- 自己肯定感
この二つは人が成長する上で欠かせないものというものなのだろう。
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