心配性はいけないのか?
わたしは、心配性と言われることがあります。
なぜそんなことを言われるのかを考えてみました。
目次
不安と予測
私は心配性です。
のっけから言い切ってしまいますが、事実です。
急に自宅の鍵を閉めたか心配になります。
やってしまった小さなミスを、この世の終わりかのような絶望的な感情に苛まれます。
おそらく、不安になってしまった時に想像力がとても働くのだと思います。
これは、良い部分でもあるのでしょう。
トラブルが起きた時、即時対応するには想定をしておく必要があります。
ある程度の想定をするには想像力を働かせる必要があります。
心配故にかなり突飛な想像もします。
そこで、私が心掛けているのは、そこから現実的に起きそうな問題はなにかと考える「とおです。
本来、想像してしまっている以上、どれも現実で起きそうと考えているのでしょうが、そこからあえて別の視点を持つことで自分の気持ちを保ちます。
sの中で、予測した結果を危機管理として置き換えます。
想定の範囲外
本当に怖いのは想定の範囲外です。
人間がもっている判断力は個々の能力に依存しているでしょう。
その能力は、経験と実績、そしてセンスだと思います。
その判断力を補うには、事前に予測をすることです。
自分でいうのも変な話ですが、私は若くして上司という立場になりました。
判断を迫られる場面もたくさん増えました。
しかし、自分には経験も能力も足りず、ほかに人に頼り切りとなってしまったのです。
そして、私は一度その役職をおりました。
自分の能力のなさに嘆きました。
同時に背伸びをしていた苦痛から解放されました。
自分に必要なのは、経験だけでなくそれを補う知識や手法だと気づいたのです。
補足
すこし脱線しますが、ノート術やタスク管理について本格的にはまりはじめたのはこの辺りのように感じます。
おそらく本当に苦しかったのだと思います。
今となっては、そのときの感情は思い出したく無いのかあまり浮かびません。
辛かった記憶もだんだん薄れています。
あのときこうすればなんて感情もあまり湧かないんっですよね。
こういうとこは自分のいいt頃なのかもしれません。
不安
心配性とついてまわるのが不安という感情でしょう。
- 不安だから緊張する
- 不安だから体調を崩す
- 不安だから人に当たる
不安という感情を取り除かないと次のステップに行けないような気がします。
少なくとも私はそのようです。
心配性はいけないのか?
答えはNOでしょう。
心配だから、見えるものもある。
心配だから見えなくなるものもありますが。
時にうらやましくもなる楽観主義も、自分の判断力を補うという面では、機能しなくなります。
まさに無いものだり、隣の芝は青い状態です。
何事も適度
この言葉につきますが、「何事も適度」ですね。
心配性すぎてストレスを抱えすぎ体を壊してしまっては元も子もありません
ストレスと実害は別
どこかで聞いて以来心に留めている言葉です。 (誰か出典がわかれば教えて欲しいです)
心配しすぎた自分を止めるためには、 視点を変えることも必要ですが、この考えも大きなストッパーとなってくれます。
実害がなければ、起きてしまったときの対策を考えればいいのです。
悩んだら書き出す
それでも悩みは尽きません。
人生において、悩まない人の方が本当は少ないのでしょう。
だけど、悩むことをやめてしまう人もいるのです。
わたしは、悩むことは悪いと思っていません。
な夜雨ということは、思考を巡らせるということだからです。
ただし、ひとつだけやってはいけない悩み方があります。
- 同じ内容を繰り返し考えてしまう
これは、何の意味もありません。
かんがえているようで、自分の同じ思考から抜け出せていないのですから。
そうならないためには、書くことです。
さっきも同じこと考えていた気がすると思えば、書いたものをミカ餌場いいのです。
べつになんてことのないやり方ではありますが、とても効果的です。
必要なのは、自分の頭の中を言語化・視覚化することです。
わたしは、瞑想をする代わりに0秒思考という手法を行うこともあります。
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人生に答えはない
見出しの通りですね。
答えがない人生を楽しむのも、悩み続けるのも自分次第。
自分が置かれている状況、持っているカード(癖)をどう捌くかはあなた次第。
自分が主人公の人生を行きたいと思います。